| 中里 吉宏
(海老名シオンの丘教会)
※ NYJC会員ではありませんが、このサイトがきっかけで信仰を持たれたので転載致しました。
我が家では祖母の代から新興宗教に入っています。三世代目になる私は、若い頃からその集いや修行の場に数多く参加するぐらいの熱心な信仰家であります。先祖供養こそが自分の生き方や考え方の基本です。私の中の霊的存在は先祖の霊以外にはあり得ないのです。従って初詣に神社へお参りするのさえ気の進まない私にとって、神様を崇めるキリスト教はまるで縁のない宗教なのです。キリスト教でイメージできるものといったら、幼少のころに読んだ漫画「サスケ」の中に出てきたキリシタンぐらいしかないのです。その他と言えば、テレビや映画の登場人物が神様に罪の許しを請う場面を何度か見たぐらいなのです。
そんな私でさえをも選び、新しく生まれ変わらせてくださった神様に、この証しを捧げます。
ある日、親しくさせていただいている女性(以降Sさん)から突然手紙で次のようなことを言われました。「将来を考えるとクリスチャンでない人とはおつきあいができない。私のことを思ってくれるなら教会に足を運んでもらいたい」と言うのです。先祖供養が信条の私にとって、教会に行くなどは生き方そのものを変えろ、と言われたようなもので、とても納得のいくものではありませんでしたし、人格を無視されたような気もしました。彼女の態度に疑問を持ちました。彼女がとても傲慢に見えました。
どうにも頑固に言い張るので、仕方がないから一度は教会に行ってみようかなとも思いました。仏教を信じる者の心の広さを見せてやろうという気持ちもありました。ずるいようですが、一度行けば彼女も落ち着くだろうし、という考えもあったでしょう。
ただ、その条件が私に二の足を踏ませました。それは、彼女とは違う教会へ、しかも一人で行かなければならないというものでした。通常で考えたら、全く知らない世界へ入ろうとする者に手を差しのべないなんて、どう見ても理不尽です。
仮に行ったとしても自分の先祖に対する思いが変わるとは決して思いませんでしたし、それより何より、私としては牧師に文句を言ってやるつもりでした。「クリスチャンとはそんな傲慢な考えをもった人たちの集団なのか、どういう教えだとそんな無神経な考え方が持てるのか」と。それでもキリスト教について何も知らずに教会を訪れるのも失礼だろうと思い、ある晩、自分でキリスト教についての質問や疑問をノートにリストアップしました。
あくる日、事務所で、八月に予定している留学の準備のためにインターネットの検索をしていました。ニューヨークの地図が見たかったので〝ニューヨーク〟と打って検索したのです。結果は三〇〇件以上あったでしょうか。そのうち自分が見たいものは一ページ目でほぼなくなってしまいました。そして、もうその先を見る気はなかったのですが、何気なく三ページ目まで進んでみました。と、そのとき、一番下に『ニューヨーク日本語教会』とあるのが目に入りました。「そういえば昨晩いろいろ調べたいと思っていたのだ」と、そのホームページ(以降HP)を開いてみました。
はじめ、『今日の聖書』という欄がありましが、読んでもさっぱり意味がわかりません。すると、そのHPには親切なことに『キリスト教用語集』なるものがあったので早速それも読んでみました。聖霊、三位一体、贖い・・・見慣れない言葉ばかりです。読んでいくうちに思ったのは「こりゃ、仏教とは一八〇度違うぞ」ということでした。「これは自分には無理だ、彼女とも分かりあえることはないか」というのが初めの印象でした。
次に『体験談』というコーナーがあったので、それも読み始めました。数人のを読み、「なるほど、キリスト教とはそういう教えか」とだいぶ見えてきたような気がしました。そして、神保チロルさんという方のページを読み始めたとき、自分でも何故だかわからないのですが、どんどん引き込まれていったのです。
要約しますと、そこには次のようなことが書いてありました。
「肩書き社会の日本にあって、自分で何でもできると信じて突き進んできたが行き詰まった。さらに病気を患い、無力な自分に絶望感を感ぜざるを得なかった。自分自身も好きになれず、他人をも信じられない。しかし、こんな私をも、神様はそばにいて救ってくださった」
今から思えば、神保さんの人生が私自身の生き方と重なったからなのでしょう。
私の人生における最大の目標は両親にいい思いをさせてあげたい、ということでした。私には六三歳になる母親がいます。彼女は両親を戦争で早くになくし、大変な人生を送ってきています。それでもめげずに私たち兄妹に愛をそそぎ、育ててくれました。その母に何とかいい思いを、と私は人生を突っ走ってきたわけですが、ふと自分自身を振り返るとどうでしょう? 自分に何ができたでしょう?
何もできていません。それどころか心配ばかりかけています。結婚も失敗し、孫の顔も見せてあげられない。この年齢で会社も辞めてしまい、半ば〝ぷー太郎〟状態です。それでも健康でさえあれば親は安心なのだ、と高をくくっていましたが、その健康までも私は害してしまいました。腎臓を患い、へたをすると父と同じ人工透析になりかねない状況にまできてしまっていたのです。
手術のために入院をしました。腎臓は悪化することはあっても快復はしない、残った機能を悪くしないように、ずっとこの病気と付き合わなければならない、と医者に言われました。
「一体俺は何なのだろう?俺は何のために生きているのだろう?」神保さんの体験談はこの私の絶望感とマッチしました。結局、自分でできることなど何一つない、という潜在意識が明るみにでました。
― でも神保さんは神様に救われた ―
「じゃあ、神様は俺のことも助けてくれるの? 母親のことも助けてくれるの?」と思ったら涙が止まらなくなりました。
どうにも涙が止まりません。自分の気持ちをコントロールできないのです。
それでも、相当なへそ曲がりの私は自分のこの涙に納得できないでいました。ひょっとすると、このHPに洗脳プログラムか何かがしくまれていて、私はまんまとそれに引っかかっているのではないか、とまで思いました。しかし、次に読んだ体験談の一言が、そんな私の思いを打ち消し、さらに涙に拍車をかけました。「私はずっとそばにいたのに、おまえはやっと気づいてくれたな」
半信半疑ながらも、とにかくこのことはSさんに報告しようと、もう一度HPの最初のページに戻りました。そこで愕然としました。さっき見たときはさっぱりわからなかった『今日の聖書』の言葉の意味が、今度ははっきりと心の中に入ってきたのです。
「しかし聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます・・・」とそこにはありました。背中がぞっとしました。まさに私は昨晩キリスト教を知ろうとした結果、今こうして聖霊に導かれて、自分に最も似た境遇の人の証しを読まされたのか?と。しかも毎日更新されている『今日の聖書』のコーナーで、どうして今日このときに自分はこの聖句に当たったのだろうか? 一日でもずれたらこの聖句を私は見られない、ひょっとして私のそばにも神様が? そう思ったとき、止まりかけていた涙がまた溢れ出しました。
結局、私はこの日合計で三度泣きました。「もうこれは今度の日曜は絶対に教会へ行かなければならない」という使命みたいなものを感じました。ほんの数時間前までの懐疑的な気持ちが嘘のようでした。独りで教会へ行くことに対する抵抗は消えていました。
Sさんに報告すると、とても喜んでくれました。「神様のお導きだ」と言っていました。そして私の家の近くの教会を四つリストアップしてくれました。どこでもいいと思いつつ、初めは厚木に父と同じ名前の牧師さんがいる教会があったので、そこにしようかなどと考えていました。すると彼女が「この、生島先生という牧師さんがいいらしい」と言うので、素直にそれに従うことにしました。その教会の名は海老名シオンの丘教会です。
次の日(金曜日)に早速電話を入れて、日曜日に出向くことにしました。行くと、初めてということで付き添いの方がついてくれました。井出さんとおっしゃる方で、とても穏やかな雰囲気が私の緊張をほぐしてくれました。そうこうしているうちに礼拝が始まりました。生島牧師とは意外と若いのだなと思いました。
その後、またすごいパンチをくらったのです。
その日は六月八日で、〝ペンテ何とか〟がどうのとか言っていました。意味がわからず週報というものを眺めていると『今週の暗唱聖句』というところに、なんとまた例のフレーズ「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」があったのです!思わずインターネットを見たときに、手帳にメモしておいたのを出して比べました。
同じです!最初は、まさか、冗談だろうと思いました。きっと今月は全世界共通で、どこの教会でもこれを暗唱句としているのだろうと。ところが、後でSさんにそのことを話すと、そんなことはないと言われ愕然としました。一体、こんな偶然があるのだろうか?
で、以前から素直な心が欲しいと思っていた私は、これを信じなかったら、もう一生素直になる機会を失うような気がし、その後も教会に通うことにしたのです。神様はこんな頑固な私の性格をよくご存知だからこそ、これだけの奇跡をみせてくださったのでしょう。そうでもしなければ私の先祖に対する気持ちが変わることはなかったでしょう。すべては偶然や奇跡ではなく神様の計画だったのです。
いいえ、計画はこれだけではありませんでした。
これだけの奇跡の後ろ盾をしてくれた、ニューヨーク日本語教会と神保チロルさんには何としてもお礼がしたいと思いました。嬉しいことに、私の留学の計画(これはキリスト教と関わるずっと前から決まっていたのですが)は、ニューヨークで三日間観光をした後、ボストンで一ヶ月間ホームステイ、再びニューヨークへ戻ってから帰国、でした。
うまい具合にボストンへ移動する日が日曜日だったので、意気揚々と郊外にあるニューヨーク日本語教会へと行きました。私が訪れたいきさつを話すと、皆さんは大変驚かれていました。HPを作ったかいがあったと喜ばれていました。残念ながら神保さんは治療のため帰国していたので、会うことはできませんでしたが、Eメールのアドレスを教えていただくことができました。
ついでに彼らに、「ボストンで迎える三回の日曜に礼拝に参加したいが、ここのような日本語教会はボストンにはあるのですか」と尋ねました。神様はプレゼントをもう一つ私に用意してくれていました。驚くことに、神保さんはニューヨークに来る前はボストンにいたというのです!
衝撃です。私はニューヨークでもボストンでも、神保さんのことを知る人がいる教会へ行けたのです。しかもこんな広い世界で、です。これが偶然だと言える人はいません。まちがいなく計画です。(だって私はもともと西海岸のシアトルに留学するつもりだったのですよ!)
まだあります。留学中の五回の日曜日全部に礼拝に行くことはできないだろう、と思っていましたが大間違いでした。その全てに参加できました。特に最後の日曜日などは驚きです。本来その日に帰国しようと思えばできたはずなのに、わざわざ一日遅らせて月曜日のチケットを取っていたのです。
結果、私の訪問は、ニューヨーク日本語教会では例のHPを作った人たちに勇気を与え、ボストン日本語教会では仏教徒の求道者の方へ、この私と神様の出会いをお伝えするきっかけとなりました。神様は確かに私を用いられているのだ、と思うと喜びを感じました。
特にボストンでの教会員との交わりは恵み多きもので、私の信仰をより厚くしてくれました。また、海老名シオンの丘教会の週報の祈りの課題に、私の渡米中の安全を載せていただいたことも感謝でした。
帰国後も足しげく教会へ通いました。それもそのはず、今まで仏教を通して解決できなかった人生への疑問が、礼拝のメッセージでことごとく解決されていくのですから。神様は私が知りたいことを、義にかなえばすぐに教えてくださいました。
解決するのは疑問だけではありません。性格も変えてくださいます。人間には自分ではどうにもできない嫌な部分があります。仏教を通して自分自身を省みるということはよくしていましたから、私自身の醜いところはよくわかっていました。ちょっとしたことで腹を立ててしまい、それが結構後々まで後を引くのです。この根性の小ささが嫌で嫌で仕方がありませんでした。でも今まで手をつけられないでいました。
ある日、不思議な経験をしました。精算が必要なことを忘れ自動改札を通ろうとしたときです。当然出られません。定期ときっぷ二枚併せてその隣を通ろうとしたら、向こうから来た高校生の集団に先を越されてしまい、その隣も、そのまた隣も通れません。挙句の果てに彼らの一人が横を通り過ぎるときに、私にかばんをぶつけていったのです。
そのときの私の反応は?何と、笑ってしまったのです。そんな自分がおかしくて。えっ?何で?と思いました。いつもの私だったら・・・。そうです、はらわたが煮えくり返って仕方がなかったでしょう。こんな自分を見たのは初めてでした。
後にも先にもあんなことは初めてで、その後もいらいらすることはしばしばですが、とにかく神様が「私にはできないことはないのだよ」とおっしゃったような気がしました。ますます神様に魅力を感じました。あの自分を手に入れるためには、神様に一生ついて行くしかないのだと思いました。そのために神様は、美味しい思いを一瞬だけ私にさせてくれたのでしょう。
そんな私も、神様のことは信じられましたのに、神様とイエス様の関係がわからないでいました。復活。確かにどう解釈したらよいのか難問でした。頭の中で「復活したんだよ」と言い聞かせることは信じたことにはならないでしょう。
でもそれも神様は放っておかれず、すぐに返事をくださいました。或る日、「イエス様のことを知りたい」と聖書を開きました。弟子たちの誰が誰だか全く知りませんが、何故か『ルカの福音書』を選びました。読み始めるうちに、何故何もしてない人がこんな仕打ちをうけなければならないのか、と腹立たしく、悲しくなりました。そして復活されて弟子たちの前に現れた章にきたときです。
「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」〈ルカによる福音書二四章三一~三二節〉
これを読んだとき、私の胸も熱くなりました。体の内側から熱を帯びてくるのです。そして顔まで熱くなって思わず、「イエス様!」と手を組んでお祈りし、涙が溢れている自分がいるのに気がつきました。
それから自分がクリスチャンであることに全く違和感を感じない私は、静かに神様の時を待ちました。そしてペンテコステから半年たった一二月の二一日に、この海老名シオンの丘教会で洗礼を受けられることになりました。僅か半年間で自分の人生の地図は完全に塗り替えられました。
― それもすばらしい人生に ―
今、こうしてクリスチャンとして生まれ変われたのも、思い切って神様に全てを預け、私に教会へ行くきっかけを作ってくれたSさんのおかげです。そしてどこの誰ともわからない私を、いつでも温かく迎えてくれた教会員の皆様のおかげです。そしてそして、私を選び、この計画を立ててくださった神様に、何よりも感謝いたします。
洗礼を受けてからもこの気持ちを大切にしよう、私の信仰を深くしてくださるように、と日々祈り続けています。
神様、皆様、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
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