証  し

田上稚佳子
(1998年11月29日WJCでの受洗式にて)

   今日、こうして無事洗礼式を迎えられた事を、神様に心から感謝しています。この日までを振り返って見た時、全ての事が神様の不思議な力によって導かれた事を感じています。

   キリスト教の幼稚園に通っていた為、疑うことなくイエス様との出会いを受け入れていた幼少期を送りましたが、育つ間にそれを忘れ、神様の光に背を向けて歩き続けて来ました。その間、何故か物事が悪い方へとばかり展開して行くことに奮闘していましたが、どうすることもできませんでした。自分自身の思いを支える事に精一杯で自己中心な生活を送り、周りにいた人達を傲慢な言葉や態度で傷つけました。又、自分の弱さを見せつけられる出来事に次々と出会い、どんどん自分を卑下し、いつも空しい思いで悩みを抱えていました。人は思春期だからだと言いましたが、それは年が重なる度に増えていく一方でした。そのうちに、明らかに将来的に後悔していくだろうと思われる罪にも足を踏み込まなければいけなくなって行きました。今思えば、どうしようもない罪の重さから逃げたくて、過去の環境を捨てたくて留学へ踏み出した気がします。しかし、NYへ来て本当に一人になって余計、取り返しのつかない、してしまった罪ばかり思い出され、孤独の中でもうどこにも行き場を失っている中でした。でも神様は見ておられました。私が救われたきっかけはヴァイオリンの同門下生だった今里姉に何とはなく悩みを話した時、聖書に関連する一冊の本をお借りした事からでした。「神を待ち望む事」という題でした。その本を読み始めた時、それまで何年も続いていた心の中の戦いが終わり、不思議な平安がありました。これまで神様を信じる事をせず、自分の力で何とかしようと思い生きてきた傲慢な自分に気付きました。又、人間を造られた神様は、一人一人に、こんな私にも生きて行く計画や、役割を与えていて下さるのだと知り「神様を信じて待ち望もう、時が必ず来るのだ、こうして時が来たのだ」と思いました。そして牧師先生の導きにより、悪魔の計画にはまり続けてきたこれまでの私が、沢山の人を救った何の罪も無いイエス様を十字架にかけたということを知り、それでもその罪を赦して下さり、本当に信じる者にして下さる為に復活して下さった神様とその独り子イエス様の愛を知りました。私はこれからクリスチャンとしてイエス様の十字架の痛みを忘れる事無く、神様を信じて、感謝して喜んで生きていきたいです。そして私が今の気持ちを忘れる事がないように、イエス様の御名によって祈り続けます。

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