改 心 の 証
| 鈴木 譲 私は牧師の子供として育ったので、子供の頃から神様の存在は身近なものでした。私は高校生の時に教会の夏のキャンプに参加して、そこで出会った人達を見て、「この人達の信仰でクリスチャンであるならば、自分は充分いいクリスチャンだ」と訳のわからない事を考えて洗礼を受けました。(正確には幼児洗礼だったので、信仰告白でした。)そんなスタートだったので信仰の成長もなく10代を終えてしまいました。 私はよくいる平凡な大学生をやっていました。東京郊外のいわゆる2、3流大学に通い、特に秀でた特技もなく、隔週にでる漫画雑誌の発売日にそれを読みながら学校への電車に乗るのを楽しみにしていいたような学生でした。 そんな学生生活の一年目が終わる頃、私は信仰とは何かという疑問を持つようになりました。どうして人は神に赦されて永遠に生きなければいけないのか?これが私の一番の疑問でした。別に楽しい人生を送っていなかった私としては、永遠に生きるということが苦痛に思えたのでした。私は祈り、また聖書を読むようになりました。二十歳の春のある夕べでした、私は神様に「もし私が告白すべき罪があったら、それを聖霊によって示してください」と祈りました。神様の働きにより私はいくつかの罪を思い起こしました。そして、私はその罪を赦して下さいと祈りました。そして、私はイエス様の十字架の死により自分の罪は赦されていると信じる事にしたのです。その時私のために十字架にかかってくれたのだと霊的に理解しました。私の中の疑問がとけました。神様が私を一方的に愛し、私と共に生きたいと望んでいるから、私は永遠に生きるように招かれているのだとわかりました。私がここまで愛され、大切にされていると知って喜びがわいてきました。神様が私に「おまえの事は全て守るから、私のもとで生きなさい」と招いていると感じました。これは私にとっての新しい人生の始まりでした。 これが私の改心の証です。 |
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