「ウエストチェスター日本語教会の思い出」
| 鈴木英利也
小さな空間編 ~ 最初の日 ある日ビーズ夫人から、 久しぶりにロックランド郡からウエストチェスター郡を跨るタッパンジィー橋を渡った。その長さ3マイル。非常に長い間川の上を走らなければならない。30分強車を走らせ、もらった地図の目的地に着いた。 たいそう立派な外観を持つ教会である。 左手奥に進んでいくと、角の部屋から歌声が聞こえてくる。どうやら日本語で歌っているらしい。扉は開きっぱなしで、恐る恐る中をのぞいてみる。受付らしい小さな机に女性が座っていた。鎌野愛さんである。軽く挨拶を交わし、後ろの方の席につく。こじんまりした12畳ぐらいの小さな部屋だった。部屋の前には楽譜たてのような説教台、その隣に一つのスピーカーアンプが置いてある。その横にはキーボードがあり、白人男性が演奏していた。デイビッド・キンダーバーター師である。一番前で誰よりも大きな声で歌う男性、西郷純一牧師がいた。またその隣で負けじと大きな声で歌う女性、牧師夫人・西郷かおる師だ。部屋の中には全部で10人くらい。大きな教会の一角に日本人の小さな空間があった。 帰り際に一人の人が声をかけてきた。 帰り道をひた走る車の中、日本にある教会ではあじわうことのできなかった「温かみ」がある教会だと感じた。また来てみようと思った。 新天地へ ~ たっかほぉー ある日、ウエストチェスター日本語教会が新しい礼拝堂に移るという話を聞いた。 日曜日早速出かけてみた。またあのタッパンジー橋をわたり、川の向こう岸へ。今度は以前あった場所よりも更に走った。40分以上走ったと思う。ハイウェイをおり、ローカル道に入るとぐねぐね曲がった道を通り抜けてゆく。なんかわかりにくい。しかしここまで来ると、治安の悪そうな雰囲気ではない。中心街らしき場所を通り抜けると少し坂道になった。坂道で信号待ち。ふと左方向見ると白い教会が立っていた。あれに違いない。しかし道は一方通行。どこから入ればいいのかわからない。ぐるぐると2周ほどまわった。 近くで見ると結構年をとった建物だった。入り口を開けるといきなり階段がある。真ん中が上に、両脇は下に。下の方から、数人の声と食べ物の匂いがする。韓国系の匂い。空腹感を覚えながら上の階段を上ると、右側に大きな部屋、左側が礼拝堂のようだ。左側に進む。正直驚いた。高い天井と奥にはパイプオルガンがある。「教会」って感じだ。開拓当初のあの小さな空間とは違いここには「礼拝堂」があった。 教壇の左下にピアノ。ピアノの隣にキーボードがあった。どうやら演奏者が増えている。フルート奏者が新しく讃美チームに加わっていた。この讃美チームは更に膨れ上がっていくことになる。 礼拝に参加する人数も多少増えていた。牧師は相変わらず熱の入ったメッセージを語る。プリンストンとウエストチェスター、2つの教会をかけもちで手がけているらしい。毎週続けるのは大変だろうと思った。しかし奉仕者一人一人が生き生きしていたように思える。一番大事なのは新来会者への接し方。この教会には「壁」を感じなかった。 Born Again ~ 新しい生活 教会が「たっかほ~」に移ってから、不思議にも段々と礼拝に通うようになっていった。根本的な理由はわからなかったが、教会に通うことが楽しかった。 牧師のパーソナリティーなのか、それともスタッフ(役員の原型)メンバーがそれぞれ良い味出していたからか・・・それがなんだったのか今でもわからないが、自分にとって「教会」に通い続けるベストな時期だったことは確かだと思っている。 その当時の「たっかほ~」の教会の一つの魅力は、同世代のクリスチャンが割合多かったことだ。いつでもこの教会は典型的な「日本語教会」と比べて平均年齢が若い。いつも後から気付くことだが、自分にとって良い時期に良いメンバーが揃っていたと思う。クリスチャン的に言うならば、神さまの計画のうちに全てが整えられていたように思う。 「神」の存在を知らない人は「神」を求める手段を知らない。知ろうとするには「神」を信じる人たちを見る。そこから学ぼうとするからだ。 幸いにもその時期が訪れた。正直あの時はとても素直だった思う。心の窓がワイドオープンで心の器は乾ききっており、汚れの無いもので満たしてほしいと心から願っていた。純粋な心には聖霊も快く入って来られるみたいだ。そして神を信じた。(詳しい内容は教会の証しに掲載されている。) そこから一つ学んだことがある。人を中心に見るべきではない。人に着いていけば必ず後悔する。人をも造られた創造主を見るべきではないだろうか。頭の中で全てを辻褄が合うように考えていたら、きっと一生神を知ることはないような気がする。ある時どこかで無条件に神の存在を受け入れてみることが大切だと思う。 身の回りは何も変わっていなかったが、内では新しい生活が始まっていた。大学の聖書の講義が前よりも興味深くなった。(テストの結果は別として…)興味ある科目とそうでない科目とではこんなにも学ぶ意欲が違うものかと改めて実感させられた。 ある日神さまのために何か出来る事はないかと考え始めた。 働き者 ~ 奉仕活動初級編 何か神さまのために役に立てることはないだろうか。自分に出来る事はないだろうかと考えていた。ある日教会で奉仕者アンケート紙がまわってきた。今となっては良く覚えてないが、細かい奉仕リストが載せられていたように思う。 上から順に辿ってみた。「写真」というラインがあった。写真はNYに来る前に趣味のひとつとしてやっていたので、これなら出来ると思った。早速そのアンケート紙にチェックして提出した。その週に愛さんから、イベントがあるときは活躍してもらうから、と言われた。写真の奉仕は確かに毎週するものではない。特別講師が来られた時や、洗礼のとき、お別れ会のときなど、特別な時しか出番はない。そのときが訪れると必ず愛さんから電話があり、忘れずに写真を持ってくるように言われた。「奉仕者初心者」をしっかりフォローアップしてくれたことにとても感謝している。それが教会で始めた最初の奉仕である。 写真の腕前はあくまでも素人同然なのだが、「人」を中心に撮るのは結構難しい。特別講師が来られ、メッセージを語っているときに四六時中パチパチやるわけにはいかない。顔を上げたときや、表情が変わったとき、特に熱く語りだした時はシャッターチャンスである。しかしシャッターを押すのは出来るだけ少なくした。子供たちを撮るのも手間である。照れ屋の子供たちは「隠れる」癖がある。写真家泣かせのその癖をやぶるには、カメラが向いていることをばれない様にしないといけない。何気に近寄って「カシャ」とやる。「とったなぁ~!」と怒っているが、結構うれしかったりするのだ。(うれしいと思ってほしい)ある女性には「私は高いわよ」と言われたが、そんなことお構いなしで撮ったこともあった。彼女が有名になったときにはプレミヤをつけて高くさばこうか…(冗) ギターもやりだした。いく人かの人たちがゴスペル(コンテンポラリーな賛美)をギター片手に歌っているのを見ていたら、自分もやってみたくなった。ギターは昔友達から譲ってもらったものがあったので、早速一人でポロ~ンとやってみたが、まったく曲にならなかった。そこで山中兄に頼んで個人レッスンをうけた。一番ごまかしの効くコードだけ教えてもらい、後は本やビデオなどをみて勉強した。GCDAさえ覚えてしまえば何曲か弾けるものである。最初に弾いたのは「神の国と神の義を」という曲。繰り返し繰り返し弾いてみた。簡単かつ良い曲である。 そんな初心者を賛美チームに誘う男性がいた。 働き者 ~ 奉仕活動中級編 デイビッドから賛美チームでギターを弾かないかと誘われた。 もちろん即断った。コードもろくに知らない男が人前で弾くなんてとんでもないと思ったからである。しかし、独り静かなところで賛美するのは好きだった。まわりを気にせずに大声で歌うのは気持ちがいい。 うまく弾く必要はない、とデイビッドに言われた。賛美は人に聴かせるものではなく、神を称えるもの。極端な話、変な曲でも神さまを称える心があれば良いのである。 無謀にも参加することに決めた。楽譜など読めるはずもなく、リズムとコードだけを追って何とかついていこうと頑張った。これがなかなか楽しかったりする。独りで弾いている時とはまた違った感覚を覚える。本人は結構必死だったりするのだが…。(汗) いつの間にか賛美チームのメンバーが増えていた。ピアノ・キーボード・ドラム・フルート・ギター・ベース・バイオリン・ビオラなどなど。数え上げるだけでもそうそうたる面子である。今はあまり歌われていないが、この教会で生まれたプレイズも何曲かある。特別賛美も度々行われ、言葉では表すことの出来ないすばらしい賛美を何度となく聴かせていただいた。今思うと本当に貴重な体験であったと思う。この教会は賛美の賜物を持った人達がたくさん集まってきていた。 奉仕活動は更に増えた。司会をするようなった。学生の身分で司会をしていたのだから驚きである。始めのころは何がなんだかさっぱりわからなかったが、とにかく司会進行を忠実に行うことだけに努めた。たまに牧者のメッセージ後に個人的なコメントを入れたくなる時もあったが、それは避けた。メッセージは個人個人それぞれ違った捉え方をするものであり、また、一人一人に必要な御言葉が用意されているもだから、個人の意見など無用だと思った。 週報作りも始めた。これがなかなか勉強になった。恥ずかしながら学生時代の日本語は目茶目茶だった。(いまでも…なんていわないでね)報告の欄を書いているうちに、自分の日本語の下手さにあきれ返った。どうにもこうにもお子様風にしか書けないのである。丁寧な言葉を使おうとすればするほど、意味の通らない文章になったり、違った意味でとることも出来るような文章になったりした。しかし、やっているうちに多少は学んだ気がする。 どの奉仕をとっても、意味のないものはなかったと感じている。楽な奉仕だろうが、大変な奉仕だろうが、どちらが偉いわけでもない。とにかく楽しんで出来たと思う。正直な話、特定の奉仕を続けるべきか悩んだ時期もあったが、人に見られたいからやっているのかも…と感じたものは辞めたりもした。奉仕はあくまでも神様のためのものであって、人から褒めてもらいたいからやるのではない。そうすれば、天からの見返りはきっと返ってくると思う。 偽献身者 ~ 牧師館生活 NY近辺に移ってきてから、一年以上同じ場所に住み続けたことがないという、なんとも皮肉な…いやいや「神様の導き」を大いに受けた生活を送っていたわけだが、とうとう牧師館に住む機会が訪れた。経緯を書き出すと長くなってしまうので省略するが、とにかく乗り気でなかったのは確か。 「共同生活」が苦手で、自分の生活スタイルに当てはめるのは難しかった。しかし、住み出してから牧師館の便利さや有難さがわかったというのも本当のこと。 まず、ロケーション。駅から徒歩5分、マンハッタンまで電車で約40分。通勤には重宝させていただいた。キッチン・ダイニングルーム・リビング・書斎・3ベットルーム・パーキング付。これだけの条件が揃っていたら結構な物件である。まぁ色々と問題が多かったことは確かだが…。 立地条件の他に、何よりも恵まれたのは「音」が出せたことだと思う。一人で住んでいた期間が少なからずあり、その時は上手くもないギター片手に大声で賛美しまくっていた。それでも物足りなくなって、礼拝堂まで出かけて行き、ギターをアンプに繋いでその上マイクを使って歌ったりもした。夜の静かな誰もいない神聖なる礼拝堂でガンガン音を出していたのだから、本当ならやってはいけないことだったのかもしれない?(ダメ?)他の雑音がしなかった分、自分では集中して賛美できたと思う。礼拝堂を独り占めできるというのは、牧師館に住んでいないと早々出来ないことである。 人よりも多く教会内にいた分それだけ親しみがわいてきて、大切にしようと心がけるようになる。タカホの町が映画撮影で使われて、教会を出演者の衣装変え場として使用された時は流石に腹が立った。教会内のドアは外され、なぜか床はびしょびしょ。庭には見物客が落としたゴミが散らばっていた。ある人にはその時の教会はただの「休憩所」でしかなかったのかもしれない。そう感じたときは悲しかった。 きっと、当時無牧だったせいもあって、自分が出来ることはやろうという気持ちが少なからずあったのだと思う。うまく表現は出来ないけれど、神さまに仕えられているうれしさがあった。 クリスチャンは口をそろえて「伝道しなきゃ!」というかもしれないが、伝道がどうも苦手である。表立って活動するよりも裏方の仕事の方が結構好きで、コツコツ目立たないことをして力になる方が自分にあっていると思う。だから牧師館滞在中も、別に苦になったことはなかった。 一年間「偽献身者」として牧師館に滞在して、嫌なことも沢山あったけれど、それよりももっと大きな恵みをもらった気がする。 受け入れ、送出す教会 ~ NYJCへの願い 何人の友人と別れただろうか。ニューヨークには日本人が入れ替わり立ち代り日々循環し続けているかのように思える。実際そうなのかもしれない。 教会に通う人達も例外ではない。駐在・留学・結婚・旅行・なんとなく来てしまった人達などなど、NYJC(WJC)には沢山の人達が足を運んでいる。その場その場の出会いしかないかもしれないが、その数は実に多大であると思う。教会のウェブサイトのカウンターを見てもわかるとおり、既に2万2千(2003年3月現在)のアクセス数を計上している。それだけNYJCに少しでも触れている人達がいるということだと思う。(同一人物が何度もアクセスしている可能性もあるのだが…) これだけの人が関わっているにもかかわらず、個人個人が実際に会って交わりをもてるのはほんの一握り。しかし、日本人クリスチャン人口1%弱、また実際に教会に通っている人は0.5%以下といわれる中、そこで出会うチャンスは奇跡に近い。「偶然」はあるものだと思われるかもしれないが、個人的にこれは「偶然」ではないと思う。 その出会いを価値あるものするかどうかは個人次第(神さま次第)。しかし特に新来会者には教会として特別な配慮を施す必要があることをしみじみと感じる。新来会者がNYJCに通い続けるかどうかは第一印象でほぼ決まってしまう気もする。特に求道者はそう感じるのではないだろうか。残念ながら配慮が行き届いている教会に出会ったことがない。新しく来た人が礼拝後に取り残されているのをよく見るが、あれはよくない。出来ることならば普段会っている人達よりも先に彼らに挨拶し会話をするほうがよくないだろうか。 NYJCには「壁」のない教会になってもらいたい。自分たちのコミュニティーを作り上げるのではなく、そとの人を積極に受け入れ柔和な態度でのぞんでほしい。循環の早い教会だからこそそのように対応する必要があると思う。自分もまたその流れの一部だったからわかる。 人のエゴを取り除き、イエス・キリストの贖いによって一つであると確信できれば可能なのではないだろうか。横の関係ではなく神さまとの関係を熱心に築いてほしい。
また、あの白い教会から賛美が聞こえてくる事を思い出しつつ…。 エリヤ |
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